1820年から1905年まで
フォントネー大修道院はフランス大革命の時、国家没収財産として売却され、最初の持ち主によって製紙工場に変えられました。その当時、倉庫として使われた修道院付属聖堂の近くにボイラーがおかれていました。当時の写真に高い煙突が見えます。
大修道院はその後、1820年に気球の発明家の甥のエリー・ド・モンゴルフィエに買い戻され、彼は子供たちと共に事業を発展させます。
エリー・ド・モンゴルフィエの娘婿であり、吊り橋やフランス鉄道の発明家であるマルク・セガンが1838年から1868年までフォントネーの所有者となります。
製紙工場は1905年に閉じられますが、これは1870年の戦争と水力を無視して石炭の使用を重視する産業革命が原因です。しかしその後フォントネーは引き続きセガン家の所有となります。
1905年から現在まで
1906年、ローズ・ド・モンゴルフィエ(前の所有者の娘)の夫であるエドゥアール・エナードは大修道院を買い戻し、文芸庇護者として、建築家の助けを借りずに、修道院を大修復します。彼は自身の財力の一部を捧げ、彼自身の言葉によれば《産業ギャング》からかつての大修道院を助け出したのです。
大修道院はその後、彼の息子、そして次に孫に引き継がれますが、この孫は現在の所有者の父親です。観光産業が1970年から発展し、これによって多くの建物の維持に必要な費用の一部が捻出され、不足分は家族財産から出されました。
現在
大修道院は現在もこの同じ家族によって情熱的に維持されています。休みなく働き、見学者が素晴らしい経験をできるようにしています。家族の人々は、見学者の目に支障となる何ごともなきよう特に気をつけています。
大修道院は一般的に、例外的な大工事を除いて、国や世界遺産機関から助成金を受けていません。