シトー会修道士会は1098年にサン・ロベール・ド・モレスムによってシトーで設立されましたが、その目的は6世紀にサン・ブノワによって書かれたベネディクト会修道士の規律の根幹にもどることでした。.
1112年、サン・ベルナールは23歳の時に、シトーにもどり修道士になります。彼はブルゴーニュ地方の貴族階級の出身で、家族はモンバール、アリーズ・サン・レーヌ、ディジョンに土地を持っていました。サン・ベルナールの母親、アレトゥはモンバールを統治する領主の娘でした。
サン・ベルナールはシトーに着くと、苦行と祈りの厳しい生活に入るという自身の望みをかなえます。そのカリスマ性によって、家族の者や友人など30名以上が彼を慕い同行します。
その共同体は彼のお陰ですみやかに大飛躍をとげ、4つの新しい修道院、《シトーの娘たち》をシトー会の名で設立します。サン・ベルナールは1115年に自身でシトーの3番目の娘クレルヴォーを設立します。すみやかに今度はクレルヴォーから3つの集団が派生し、トゥロワフォンテーヌ(1115年)、フォントネー(1118年)、フォワニ(1121年)が生まれます。クレルヴォーの血筋が最も多産で、サン・ベルナール逝去の時、341の修道院が設立されていました。
フォントネーは現在、サン・ベルナールによって設立された唯一の大修道院で、諸世紀を通して無傷でした。修道士生活のこの比類の無い証、そしてその建築の純粋さこそが、1981年のユネスコによる世界遺産への登録を生んだのです。